フライングがフライングであるために

役者/インプロバイザーであるフライングヒューマノイドナッツの掃き溜め。役者の仕事は言葉にする事と言われたのでとりあえず始めてみたり。

脚本をちゃんと書いてみたいんだなぁ。

演劇をやる上でやっぱり自分の脳内にある自分が魅力的に感じる。

自分の心地いい語感での台詞を形にしたいと言う思いがあって

何度も何度も書くことにチャレンジした事があります。

 

生ゴミのようにブログに貼り付た脚本のようなものも、知り合いの企画で脚本を募集した時に落選したもので、個人的には気に入っているのだけど、完成させる必要がないから続きが全く描けない。

 

そんな感じで、書き始めては上半身くらいで終わり、下半身のないてけてけのような作品、と呼んでいいかわからない文字の羅列は意外とあって、卒業直前の3月なんて面白くもない文章を誰もいないサークル室で毎日夜10時まで書いていた。

脚本を書くための本を読んだらしてみるのだけど全然身にならなくて

でも最近その理由がわかった気がした。

 

完全に教養不足の一言に尽きる事がわかった。

 

一般教養は勿論なのだけど、本を殆ど読んでこなかった人種で、脚本は読むけど、声に出さないと入ってこないし、兎にも角にも人の文章に全然触れてこなかったわけです。

もっと言うと、SNSなどで文字には触れているが、物書きの質の高い文章にはあまり多く触れていなかった。これが、多いな要因である。

 

私は文章を書く時、構成など微塵にも考えず、下書きもなく、書きたいことも漠然としている中で修正もろくにせず、書きながら思ったことを全部書いちゃっているわけで、お陰様で遠回りした文章、ゴールが違うところにたどり着く文章になるのです。

 

卒論の指導の中で、教授に

「あなたのレポートはブログね。」

と言われた事が未だに忘れられない。

 

我流で行こうだなんて思っちゃいないけど、せっかく文字をすぐに文字にできる時代である。

どうにかこうにか脚本を書き続けることを諦めずにいたい。